【取材】「ソフトガストロノミー」を知っていますか?すべてのMICE参加者が美味しく食べられる”食”のバリアフリー(GenkiFuture京都会議)
食べる喜びをすべての参加者へ
国際会議や企業イベント、交流会など、MICEにおいて「食」の提供は欠かせません。その時「食べづらい」と感じる参加者のことを、どれほど意識されているでしょうか。
2026年6月27日から29日にかけて京都で開催された「GenkiFuture 京都会議」を取材しました。テーマは「ソフトガストロノミー」。嚥下機能の低下や障がいの有無にかかわらず、誰もが同じ食卓を囲み、楽しめる社会の実現を目指す考え方です。参加者一人ひとりのウェルビーイングや多様性を尊重するイベントづくりを考えるうえで避けて通れないテーマです。
記事ではガストロノミーの実践事例や、なぜ今この取り組みが求められているのか、実現する方法についてお伝えします。
ソフトガストロノミーとは「食のバリアフリー」
「ソフトガストロノミー」は、本イベントを主催する「GenkiFuture国際推進コンソーシアム」の副会長・高木治夫氏が考案した言葉です。これまで嚥下機能が低下した方に提供される食事は、ペースト状やミキサーでどろどろにした流動食が中心でした。「ソフトガストロノミー」は、食材本来の風味や食感、美しさをできる限り残し、食べる喜びそのものを守ることを目指しています。「食のバリアフリー」や「食のユニバーサルデザイン」とも言えます。
ガストロノミー:食を単なる料理や味だけでなく、文化、歴史、地域性、風土、生産者、食材、調理技術、食体験まで含めて総合的に捉える考え方です。地域の食文化を深く理解し、食を通じて土地の魅力や価値を伝える分野でもあります。観光やMICEでは、地域らしさを体験として届ける重要な要素になります。
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主催者の高木氏は次のように話します。
「車椅子用のスロープ、多目的トイレ、エレベーターなど、バリアフリーデザインの採用は当たり前になりつつあります。しかし、食事に関しては全く進んでいません。これからの時代、食事のバリアフリーが当たり前になる。その最初のかたちとして『ソフトガストロノミー』という名前を付けました」

五感で体験するGenkiFuture京都会議のイベントレポート

京都の岡崎庵や光雲寺などを舞台に3日間にわたって開催されました。「岡崎庵」は、平安神宮から徒歩5分ほどの閑静な場所に位置しています。室内は総檜で作られた能舞台を備える、日本の伝統美と非日常を味わえるユニークベニューです。イベントは3日間。筆者は2日目に参加しました。朝からカンファレンスが行われ、夜には芸妓さんも参加する日豪親睦交流会が開催されました。

「食」が大きなテーマであるため、ランチやセッションの合間には、各専門家が情熱を込めて開発したソフトガストロノミーの商品が、参加者に次々と振る舞われました。


【京都】日豪共同研究「GenkiFuture 京都会議」6月27日~29日開催/ソフトガストロノミーや最先端のケア事例で、世代を超えて誰もが元気にいられる未来を考える
ソフトガストロノミーを実現する3つのアプローチ
実現のためのアプローチにはいくつか方法があります。今回、大きく3つに分けてみました。
1.食材&調理方法のアプローチ
安全に咀嚼できるよう、各分野のプロフェッショナルによって日々研究されています。
やわらか京料理の秘密は、ペースト法と凍結含浸法
和食の分野では、京料理の老舗である「せんしょう」が、出汁の技術や繊細な包丁さばきを駆使した「やわらか京料理」を提供しています。特徴は”ペースト法”と”凍結含浸法”という特許技術を取り入れている点です。
食材を一度凍結・解凍した後に酵素液に漬けたまま減圧すると、食材の細胞の隙間にある空気を抜き、酵素を食材の内部まで一気に含浸させるというものです。いただいたシイタケのジューシーさはそのままに、風味が飛ばずに、歯茎でもすりつぶせる柔らかさでした。


京都の久在屋が提供する地豆腐「京ふたり」
IDDSI(国際嚥下食標準化構想)レベル4を見事にクリアする嚥下対応食品です。厳選された希少な国産在来種の大豆を使用し、職人の手によって天然のにがりの量を極限まで微調整することで、大豆の脂質を自然に乳化させています。他社の商品よりも”にがり”の量を20%~30%ほど少なくすることで、プリンのような極めて柔らかな食感と、滑らかな口溶けを両立させています。


福寿園のとろみのあるお茶
寛政二年創業の老舗茶舗である福寿園が、お茶本来の香りや色、深い旨みを損なうことなく、とろみ剤を最適に合わせたとろみ付きの宇治茶を開発。振る舞われたのは、銀雲という玉露を使用し氷出しという一昼夜かけて氷でじっくりと時間をかけて抽出する特別な手法で淹れられたお茶です。

学生が嚥下対応かつ透明感のある和菓子を実現
学校法人大和学園 京都製菓製パン技術専門学校の学生たちによる発表も行われました。2つの和菓子が振る舞われました。左は通常の和菓子、右は嚥下対応の和菓子です。

お餅特有のべたつきや寒天のパサつきなどは気管に入りやすく、和菓子を楽しむことは大きなハードルとなっていました。そこで医療や介護の現場で使われる最新のゲル化剤を組み合わせることで、和菓子らしい美しい透明感を保ちながら、口の中で滑らかにまとまり、安全に飲み込める食感を見事に実現しました。

洋菓子の分野においても、取り組みが進められています。梅月堂は長崎市内に7店舗を構える130年以上の歴史を持つ老舗の和洋菓子店です。嚥下食のデザートといえば、ムースやプリン状にするのが一般的ですが、同社はスポンジを使っているのがユニークです。嚥下機能に配慮した本格的なケーキ「Uni Cake Box」や「なめらかカステラ」を発売。隠れて買わなくてもいいように、みんなで食べても美味しいものを作ることが根本にあります。

2.道具&伝統工芸のアプローチ
食事に使う道具や伝統工芸技術によるアプローチです。食事は、料理を自らの手で口に運ぶ、一連の動作から始まります。

京都の老舗漆器店が手掛ける「本漆塗りの介護スプーン」
大人用や子供用、あるいは特定の障害をお餅の方用と、あえてターゲットを限定せず、すべての人が使いやすいユニバーサルデザインを採用しています。触ってみると、本漆特有の優しい質感でした。口の中に一度にたくさん入りすぎないよう、ティースプーン1杯分がすくえるサイズ。握力が低下しても持ちやすい太さ。先端がヘラ状で切りやすいなど、工夫が凝らされています。

最後の一粒まですくいとれる!清水焼・晋六窯が開発した京焼のカレー皿「ルタン」
器の内側に絶妙な反り返りであるオーバーハングを設けることで、最後のひと粒までストレスなくすくい取ることができるます。

自分の口に運べる喜び、木製介護箸「箸ぞうくん」
創業者が、工場での事故により右手の指を切断する大怪我を負ったことがきっかけでした。当時の手の不自由な方への食事のサポートといえば、手にスプーンやフォークをバンドで固定するというものしかなく、提供されたうどんは1〜2cmに細かく刻まれており、右手を怪我しただけの創業者にとっては「うどんではなく、もはや別の食べ物」のように感じられたといいます。
お箸で食材をつまみ、口に運び、その感触や香りを楽しみながら味わうことは、食生活において非常に重要です。また日本の器はお箸の使用を前提に作られています。お箸が使えなくなることは、食の喜びを損なうことにつながってしまいます。

独自のバネ構造で指先の細かな動きを補完。一度掴んだ食材を確実に持てるように設計されています。AIやロボティクスのような最先端のハイテク技術を用いたものではなく、あえてローテクにしたと強調します。栄養を摂取するだけであればハイテクで解決できるかもしれませんが、ガストロノミーの観点から見れば、食の喜びを奪うことになりかねないということでした。

3 学術、医療機関による科学的なアプローチ
学術機関や医療機関による科学的かつ客観的なアプローチです。医学的に安全であるという明確な裏付けがあることで、開発を進められたり、安心して食事を楽しめるようになります。
飲み込みやすさを「見える化」する京都光華大学の研究
京都光華大学の「嚥下調整食・機能性食品チーム」では、食べ物を飲み込む力が低下した方に対応する食品の物性を、硬さ、まとまりやすさ(凝集性)、付着性といった指標に基づいて専門機器で測定しています。「口の中でとろける感覚」や「舌で押しつぶせるかたさ」など、人間の実感を伴う官能評価を記録し、それを学術的なアーカイブとして団体を通じて社会へ広く発信しています。

医療の知見で実用化へ導く
旭川医科大学の山根由起子教授をはじめとする医療の専門家たちは、料理人が感性で開発した食品の安全性を評価し、実現に向けてアドバイスを行っています。

「GenkiFuture国際推進コンソーシアム」会長の創価大学 経営学部 准教授の岡田勇氏にお聞きしました

開催背景:豊かな食文化を持つ京都から、介護食の価値を高める
なぜこのようなイベントが京都で開催されているのか。はるか遠くオーストラリアとの共同研究として進められているのか。イベントの主催者であり、本プロジェクトのグランドコンセプトを手掛けた、「GenkiFuture国際推進コンソーシアム」会長の創価大学 経営学部 准教授の岡田勇氏にお話を伺いました。
「やはり京都は食文化が豊かで、日本・世界から見てもリスペクトされるものがあると思います。介護食は栄養価や機能性に偏り、味や食感が犠牲になってしまいます。リッチな食文化を持っている”京都”から発信することで、介護食と言われているものの価値を高めることができるかもしれません」

日本とオーストラリア、それぞれの強みを生かす共同研究
主催は「GenkiFuture国際推進コンソーシアム」です。日本とオーストラリアの研究者や各分野の専門家が国境を越えて連携し、2025年10月に設立された団体です。オーストラリアと連携する背景についても教えていただきました。
「日本は高齢化先進国。オーストラリアと比較すると日本は30年ほど高齢化が早く進んでいます。オーストラリアはAI・VR・3Dフードプリンターなど、テクノロジーが進化。我々はそれを学べますし、オーストラリアは30年後の現実を日本から学べる関係づくりができると思っています」

広げる鍵は、それぞれのプロをつなぐビジネスの視点
この概念を広めるために、どういう視点が必要なのでしょうか。岡田氏はビジネスの視点だと話します。
「ソフトガストロノミーのアイデアは必ず広まると思います。ただ、きっかけが必要です。現在は、学術や医療・介護の専門家、料理人、漆器づくりの職人など、それぞれの分野の素晴らしい人たちがいます。しかし、それらを結び付け、社会へ広げる仕組みをつくる『ビジネスの視点』が、まだ十分ではないのかもしれません。ビジネスを描ける人が入れば、小さくても成功例が作れる可能性があります」

ソフトガストロノミーは、新たなMICEホスピタリティになり得る
MICEが”ソフトガストロノミー”に関われる点は、大きく2つあると思います。
ひとつは、ソフトガストロノミーという考え方を社会へ広げるためのMICEです。
学術や技術の世界と、産業(ビジネス)の間には、見えない壁があります。その壁を越えて普及するために、異なる分野の人々をつなぐ。その架け橋になるのも、MICEが本来持つ役割ではないでしょうか。
もうひとつは、ソフトガストロノミーの視点をMICEの現場に取り入れることです。会場では「食べることは、生きる原動力になる」という言葉が印象に残りました。食事は栄養を摂るためだけではなく、人と時間を共有し、生きる喜びや尊厳につながるものです。イベントや国際会議でも、参加者の中には、食べづらさや飲み込みづらさを抱えている方がいるかもしれません。会場のバリアフリーだけでなく「食」のバリアフリーまで目を向けることが、これからのMICEに求められるホスピタリティです。
