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コラム

【特集:台湾MICE回廊をゆく】なぜ台湾は「ひとつのMICEディスティネーション」に見えるのか。台北・台南・高雄を歩いて考えた【台湾MICE回廊/7】

MICE回廊

台湾MICE回廊を歩いて見えたもの

今回の特集では、台湾のMICE施設を南北に訪ねました。台北、台南、高雄。それぞれの都市にある展示場やコンベンションセンターを取材し、その街を歩き、歴史や産業、文化に触れながら、台湾のMICEがどのように成り立っているのかを考えてきました。

取材の出発点は、もちろん施設そのものです。どのような規模なのか、どんな機能があるのか、どのようなイベントが開催されているのか、周辺にはどのような産業が集積しているのか。しかし、実際に南北を移動していくと、施設だけを見ても台湾のMICEは理解できないと感じるようになりました。

なぜ、そこにその施設があるのか。なぜ台北だけではなく、台南や高雄にも国際交流の拠点が必要なのか。そして、それらを「MICE回廊」として捉えることには、どのような意味があるのか。

台北

各都市を歩くうちに見えてきたのは、都市を同じにするのではなく、それぞれの違いを残したまま結ぶという台湾MICEの姿でした。私の中では、それを「違うままつなぐ」という言葉で捉えています。

台湾は九州よりやや小さい島ですが、都市ごとの性格はかなり異なります。政治・経済の中心として発展してきた台北、国際展示会の集積地として存在感を持つ南港、古都でありながら先端産業の集積地でもある台南、港湾と工業を基盤に都市再生を進める高雄。それぞれの都市には、異なる役割と時間の積み重なりがあります。

ワンコ

台南で見えた「歴史」と「産業」の重なり

今回、台湾の歴史を特に強く感じたのが台南でした。先住民族が暮らしてきた土地に、17世紀にはオランダ東インド会社が進出し、ゼーランディア城を築きました。その後は鄭氏政権、清朝、日本統治、中華民国と統治の主体が変わり、その痕跡が現在の街の中に重なっています。

赤崁楼、孔子廟、安平古堡、日本統治時代の官公庁建築、市場、寺廟。こうしたものは、過去の遺産として切り離されているわけではありません。日本統治時代の旧台南警察署は美術館として使われ、市場では今も商いが続き、寺廟では人々が日常的に祈っています。古いものが保存されているだけではなく、その上に新しい時代が積み重なり、現在も使われ続けている。そこに台南の面白さがあります。

私は京都で生まれ育ちました。京都も平安時代だけの都市ではなく、室町、安土桃山、江戸、幕末、明治、そして現在まで、異なる時代が同じ街の上に積み重なっています。台南を歩いたとき、私はその感覚に近いものを覚えました。古さそのものではなく、時間が層になり、それが現在の暮らしとつながっていることが、都市の奥行きをつくっているのだと思います。

そして現在の台南には、もう一つの顔があります。南部科学園区を中心に、半導体をはじめとする先端産業や研究開発機能が集積しています。歴史都市と先端産業都市。この二つが同居していることが、MICEディスティネーションとしての台南を考えるうえで重要です。

ICCTAINAN
台南 ICC Tainan

ICC Tainanは「完成した需要」のためだけの施設ではない

ICC Tainanを現地で歩いて感じたのは、既に完成した都市に大型会場を付け加えた施設ではない、ということでした。高速鉄道の駅に近い一方、周辺には台北中心部のようなホテルや飲食店の集積があるわけではありません。むしろ、これから生まれる産業交流や国際交流を見越して先に置かれた拠点のように見えました。

施設内には、古都・台南を意識した赤レンガの意匠があり、一方でスマート受付、多言語翻訳、ビジネスマッチング、ハイブリッド開催などの機能が実装されています。この組み合わせは、歴史と先端産業という台南の二面性をそのまま施設に映したようでもあります。

さらに興味深いのは、運営側が会場を貸して利用者を待つだけではないことです。海外バイヤーとの商談機会をつくり、大学や企業とも連携し、自ら展示会や交流機会を生み出そうとしている。大型施設の価値は、面積や収容人数だけでは決まりません。そこで誰と誰を会わせるのか、何を世界へ発信するのか、地域の産業や研究をどのように国際交流へつなげるのか。その機能まで含めて、MICE施設の役割を考える必要があります。

高雄
高雄

台北、台南、高雄は、それぞれ違う

台湾MICE回廊を考えるとき、台南だけを見ていても全体像はつかめません。

台北には、政治・経済機能の集積があります。南港には大型展示場があり、台湾を代表する国際展示会が集まります。台湾のMICEを世界と直接つなぐ玄関口としての性格が強い都市です。

一方、台南では、歴史都市としての蓄積と先端産業が重なっています。そこでMICEが担うのは、単に人を集めることではなく、南部科学園区や大学、研究機関などにある技術や知見を国内外へつなぐことでもあります。

高雄では、また違う姿が見えました。港湾と工業を背景に発展してきた都市であり、ウォーターフロントでは都市再生が進んでいます。MICE施設も、港湾都市としての産業基盤や、新しい都市空間の形成と切り離して見ることはできません。

台北、台南、高雄は、それぞれ同じ役割を目指しているわけではありません。その違いを残したまま、台湾高速鉄道という強力な南北軸で結ばれています。

文化財的価値のある台南駅

ここは、台湾が長く抱えてきた南北の地域差とも重なって見えます。政治や経済の多くの機能が北部に集中してきた一方で、南部には南部独自の産業基盤があります。ただし、MICE回廊が南北格差の是正を目的として構想された、と断定することはできません。その政策上の因果関係については、別途検証すべきものです。

それでも、実際に南北を移動すると、台北だけに国際交流機能を集中させるのではなく、台南や高雄にも、それぞれの地域産業と結びついたMICE拠点を置く意味は見えてきます。

「つなぐ」ことと「同じにする」ことは違います。むしろ、都市ごとの違いがはっきりしているからこそ、つなぐ意味がある。台北には台北の役割があり、台南には台南の役割があり、高雄には高雄の役割がある。その差異を残したまま、人や情報、産業の流れを通すことができる。私が今回の取材で最も強く感じたのは、この「違うままつなぐ」という構造でした。

消費期限18日の特別な台湾ビール

『台湾紀行』から約30年後の台湾を歩く

今回の特集を「台湾MICE回廊をゆく」と名付けたのは、司馬遼太郎先生の『街道をゆく』へのオマージュです。学生時代に読んだ『街道をゆく 台湾紀行』は、私にとって台湾の原体験ともいえる本でした。

司馬先生が台湾を訪れた1993年は、現在につながる台湾社会が形づくられていく途中でした。長く続いた戒厳令は1987年に解除され、李登輝政権のもとで民主化が進んでいました。『台湾紀行』では台湾の歴史をたどりながら、「国家」とは何かという問いが浮かび上がります。

台湾という土地はそこにあり続けても、その土地を統治する国家や制度は変わってきました。一人の人間の人生の途中で、自分が属する「国家」が変わることさえある。そのとき、故郷や言語、記憶、アイデンティティはどうなるのか。学生だった私にとって、この本は国家を当たり前の存在として見ないきっかけになりました。

それから約30年後、私はMICE施設を取材するために台湾を南北に歩きました。目的は違いますが、街を歩けば歩くほど、現在だけを見ていては理解できないことが多いと感じます。なぜ台南がこのような街になったのか。なぜ高雄が港湾都市として発展したのか。なぜ北部に政治・経済機能が集中し、現在の南部には新たな産業拠点が形成されているのか。MICEを見ているはずなのに、問いは台湾の歴史や社会そのものへと広がっていきました。

台北の展示会(運営提供)

MICEで動くのは、お金だけではない

今回、もう一つ考えたのは、MICEが開催地にもたらす価値についてです。MICEのメリットは、しばしば経済効果によって説明されます。参加者一人あたりの消費額が大きい、宿泊数が増える、飲食や交通への支出が発生する。これらはもちろん重要です。

しかし、MICEによって移動するのは、お金だけではありません。人が移動し、その人が持つ知識、情報、技術、経験、ネットワークも一緒に移動します。国際会議では研究者同士が知見を交換し、展示会では企業が技術や製品を持ち寄り、スタートアップイベントでは起業家と投資家が出会います。

訪問者は、開催地からサービスを受け取るだけの存在ではありません。新しい情報や知見を持ち込み、開催地で得たものを別の場所へ持ち帰ります。その結果として、商談、共同研究、投資、新しい企画、再訪といった次の動きが生まれることがあります。

MICEディスティネーションに求められるものも、観光客を受け入れる力だけではないのでしょう。人、情報、技術、資金が行き交い、その場所を起点として次の活動が生まれること。それもMICEを開催する都市の価値です。

高鐵台南駅前に設置された日本の新幹線0系

自分では選ばなかった都市と出会う

MICEには、観光旅行とは異なるもう一つの特徴があります。観光であれば、多くの場合は旅行者自身が目的地を選びます。しかしMICEでは、会議が開催されるから行く、展示会に出展するから行く、会社から派遣されたから行くということも珍しくありません。参加者本人が、その都市を選んだわけではないことがあります。

そこにMICEの面白さがあります。知らなかった都市、行こうと思ったことのなかった都市と、人を出会わせることができるからです。

私自身、今回台南に3日間滞在し、街を歩き、歴史を知り、人と話し、食事をし、ICC Tainanを取材しました。その結果、台南は単なる取材先ではなくなりました。私は台南の一ファンになりました。

一人の体験としては小さなことです。しかし、MICEによって大勢の人が、自分では選んでいなかった都市を訪れることを考えれば、その意味は小さくありません。会議や展示会をきっかけに都市を知り、再び訪れたり、その土地の企業と仕事をしたり、そこで得た知見を別の場所に持ち帰ったりする。MICEの効果は、会期中の消費だけで完結するものではありません。

高雄展覧館

台湾を巡るなかで考えたこと

ここまでは、今回の台湾取材を通じて見たこと、感じたことをもとに考えてきました。ここから先は、台湾MICE回廊そのものについての分析ではありません。台湾を南北に歩いたことをきっかけに生まれた、私自身の仮説です。

台湾の中で、異なる都市を「違うままつなぐ」ことに意味があるのなら、日本でも同じように、一都市ごとのMICE競争だけではなく、複数の都市を一つの大きなディスティネーションとして考える余地があるのではないか。そして、その考え方をさらに広げれば、日本だけでなく、韓国や台湾を含む東アジアという単位でもMICEを考えられるのではないか。

台湾を歩き終えたあと、私の関心はそこへ向かいました。

奈良 平城宮跡(復原)
kyonju25
韓国 慶州 月精橋(復原)

日本を一つのMICEディスティネーションとして考える

日本にも、地域ごとに異なる歴史、産業、文化があります。東京、大阪、京都、福岡、札幌、仙台、金沢、広島、沖縄。それぞれに企業があり、大学や研究機関があり、その土地ならではの文化や食があります。

日本のMICEの課題は、地域に特色がないことではありません。むしろ、特色は十分にあります。課題があるとすれば、それらを個別の都市資源として提示するだけでなく、日本全体のMICE価値としてどう編み直すかという点にあるのではないでしょうか。

MICE誘致では、都市ごとの競争が避けられません。しかし、世界から見たとき、日本の価値は一都市の中だけで完結しているわけではありません。東京で国際会議に参加した人が京都へ移動する。大阪で展示会に参加した人が神戸の研究機関や企業を訪れる。福岡で行われたイベントから九州各地の産業拠点へ足を延ばす。高速鉄道をはじめとする交通網によって、比較的短い時間の中で、異なる歴史、産業、文化を持つ都市を組み合わせることができます。

重要なのは、全国を同じようなMICE都市にすることではありません。それぞれの地域が持つ産業、研究、歴史、文化を明確にし、「日本のどの都市で開催するか」だけでなく、「日本というディスティネーションをどう使うか」という提案にまで広げることです。

台湾で見た「違うままつなぐ」という発想は、日本にも応用できると思います。

台南はアートの街

たとえば…東アジア独自のMICEローテーションをつくれないか

そして、ここからさらにスケールを上げると、一つの仮説に行き着きます。

欧州では、地域内の複数都市を巡回しながら開催される大型の国際会議があります。開催都市は変わっても、会議そのものは欧州という地域の中で循環していく。これは参加者が複数国を周遊するという意味ではなく、イベント自体が地域内でローテーションしているということです。

では、東アジアにも独自のローテーションをつくることはできないでしょうか。
ある国際会議が今年は東京、次回はソウル、その次は台北で開催される。別のイベントでは大阪、高雄、釜山を巡る。都市同士は一つひとつの誘致では競争しながら、イベントそのものは東アジアの中を循環していく。

私は、この形に大きな可能性があると考えています。

日本、韓国、台湾は、MICE誘致ではライバル、競争相手です。しかし世界全体を見れば、欧州や北米など、より大きなMICE市場があります。東アジアで一度開催された会議が次回は欧州、その次は北米へ移るのであれば、東アジアには一時的にイベントが来るだけです。一方で、次回を韓国、その次を台湾へとつなげることができれば、開催地は変わっても、国際的な人流、情報、ビジネスは東アジアの中を継続して巡ります。

東アジアには、そのローテーションを考えるだけの材料があります。日本、韓国、台湾には、半導体、IT、モビリティ、ゲーム、コンテンツ、医療、製造業など、世界的な産業集積があります。同時に、東京、京都、大阪、福岡、ソウル、釜山、台北、台南、高雄といった都市は、それぞれ異なる歴史、文化、都市体験を持っています。

同じ地域であっても、開催地を変えるたびに接続する産業も、参加者が得る都市体験も変わる。だからこそ、ローテーションする意味があります。

これは「どの都市が勝つか」という話とは少し違います。東京とソウル、台北は開催地として競争しながら、同時に東アジアというMICE市場を育てる存在にもなり得ます。東アジアの都市を巡る大型会議やイベントが増えれば、結果として東アジアそのものが、世界の中で継続的にMICEが行われる大きな交流の極になっていく。その順番で考える方が、自然に思えます。

特集の名は「台湾MICE回廊をゆく」

仰々しい特集タイトルをつけましたが、これはもちろん司馬遼太郎先生の『街道をゆく』のオマージュです。『街道をゆく』は司馬先生のライフワークといえる紀行ですが、1993年~1994年に先生が訪ねたのが「台湾」です。
学生時代に読みました。私にとって、台湾の原体験ともいえる一冊です。

「国家」とはなにか。そのことについて考える契機にもなりました。

今回の特集で、私が担当した記事では、ただMICE施設を紹介するだけではなく、台湾の歴史についてもしっかりと触れるようにしました。台湾MICE回廊の構想と実現は、今の台湾の成り立ちと無関係ではない。現地を歩いて、私は強くそう感じました。
台湾の歴史や産業構造そのものが、現在のMICEの強みにもつながっています。MICE回廊という発想も、台湾が進めてきた南北の均衡ある発展と重なって見えます。

今回の旅の最後に残った問いは、一つです。
都市と国を越えてMICEをつなぐことで、東アジアを世界の大きな交流の極の一つにできないだろうか。

「台湾MICE回廊をゆく」
台湾を南北に歩いた特集でしたが、その先に見えてきたものは、台湾だけではありませんでした。

取材を支えてくださった皆さまへ

今回の「台湾MICE回廊をゆく」は、台北、台南、高雄を南北に移動しながら、多くの施設や関係者を訪ねる取材となりました。各施設で取材に応じてくださった皆さまをはじめ、現地での調整や情報提供、通訳などにご協力いただいた皆さまに、心より感謝申し上げます。

施設の機能や数字だけでは、その土地のMICEを理解することはできません。なぜこの場所に施設があるのか、地域の産業とどのようにつながっているのか、これから何を目指しているのか。現地の皆さまから直接お話を伺い、実際に街を歩いたからこそ、今回の特集でお伝えできたことが数多くありました。

そして何より、台湾各地で温かく迎えていただいたことが、今回の旅を忘れられないものにしてくれました。この場を借りて、取材に関わってくださったすべての皆さまに、あらためて御礼申し上げます。ありがとうございました。

MICE TIMES ONLINE編集部

「台湾MICE回廊をゆく」は全7本の大型企画です
今後、台北、台南、高雄での取材記事を9月にかけて、合計7本公開予定です。台湾MICEの「いま」を知っていただける大型連載企画です。

※本記事の写真は特に記載がない限り、MICE TIMES ONLINE編集部の撮影によるものです。

海外取材特集:台湾MICE回廊をゆく
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MICE ZINE第3号 11月発行予定
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